めっき一筋型破り革命児

       

私の思考

2022/01/15

3代目めっき屋になるまで③

俺が最初に覚えためっき。

亜鉛めっき

電気を使用して、亜鉛金属を製品につける。

一番、単純なめっきだった。

その当時は誰でも出来る簡単なめっきで格安!

こんなイメージ。

教えてくれたのは、親父。

匂いが凄いんだな。甘い香りが。

苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)がその原因。

「こうして、あ〜しろ!」

「おめ〜!間違ってるやろ!こうや!!」

あのね。今日初めて、めっきするんやでな。

無理やって!無理やって!!(心の叫びw)

約4時間だけ親父に教えてもらい、そこから俺1人・・・。

んなもん出来る訳ない。

親父に見せると「全部やり直し」。

途方に暮れながら再度めっき。

結局3回やり直しをした(←明確に記憶あり)。

正直、馬鹿馬鹿しいっていうのが本音。

なんで俺がしないといかん?

誰でもいいんじゃね?

って周囲の社員さんを見渡すと・・・だわなw

そりゃ俺やわな。

ってぐらい忙しかった。

全てが手作業でしたので。

今のような自動機ではない。

亜鉛めっきでは、最後に温度が60℃を超えたお湯に

付ける工程がある。

手袋をしているのだが、かなり熱い。

製品がそのお湯に落ちてしまって「やば!」って

手を突っ込んだら手袋の中にお湯が。。。

痛い!

当然大やけど。

速攻で病院にて治療してもらった。

大やけどでは思い出がある。

俺が12歳(小6)の夏休み。

母親が社員のためにやかんで麦茶を作っていた。

朝飯のご飯を食べるために、そのやかんの近くを

通ったら手がそのやかんに触れて100℃の熱湯を

顔面から全身に浴びてしまった。

「ぎゃぁあああ!!」

とても人間が発する声ではなかった。

そして、親父が倒れた俺の服を脱がし風呂水に

つけてくれたのを覚えている。

俺の意識は吹っ飛んでいる訳で。

母親が「醤油を掛ければ治る!」って意味不明のことを

言ってたな(涙)

救急車を呼ぼうとしていたのは、聞こえたが間に合わん!

ということで親父の車に乗せられ、病院に向かった。

全ての信号無視で。

「先生!!息子が死にそうなんです!」

治療室に運ばれたときには、痙攣を起こしていたようだ。

まずは、痙攣を止めるために鎮痛剤のようなものを

2本打たれた。

母親も病院に駆けつけくれたいた。

病院の先生が俺を眺めながら両親にこんなことを言っていた。

「助からないかもしれません。残念ながら。」

・・・。意識がなくっても聞こえるんだな。この言葉。

小学生最後の夏休み初日。

もう死ぬんだ。俺。

つづく