めっき一筋型破り革命児

       

思考してみる

2011/12/26

どう考えるか?

今年も年内最後の営業週にはいりました。
早いですね−。1年って。
そこで考えるのが・・・

   もう44歳だ。
   まだ44歳だ。

この違いかと。

どちらも着実に「死」に近づいております。
近づきながら、何も計画せずに生きていくのか?

それとも、毎年を計画して人生を楽しむに変換して生きて
いくのか?

充実度で考えると後者を私は選択いたします。
1年間の計画って割と簡単に作成できます。
もっと大きな・・・例えば「80歳のとき、私は何をしているのか?」
という視点で考えるとーーーー

      「想像できません」

はい。私の正直な感想です。
長くても5年ですねー。先を計画出来るのは。
老後のことは今は、考えたくないです。考えられんし。

であるならば、1年毎の計画(人生、仕事)で考えた方が
より具体的にアイデアを出して実現可能なものが作れます。

それをどんどん統合していったものが「未来」であり「将来」
なんでしょうねー。

よって「まだまだ44歳」なんですよ。
ひよっこ。
人生の半分は来たけど、どんどん勝負出来ます。

先日の土曜日に少林寺の納会があり、師匠のお話をお聴き
しました。
2度、死んでると。

一度目は、車ごと真冬に川に落ちたそうです。
奇跡的に生還されたとのこと。

二度目は38歳前後に「脳梗塞」になり、4ヶ月入院してこちらも
九死に一生を得たそうです。

どちらも、毎晩、仕事を遅くまでされていたそうです。
「仕事が俺の人生やーーー!」って。

その時、つまり「死」に直面したときというのは、「スローモーション」
で子供の時からの記憶が蘇るそうです。
あー死ぬんだなーという気持がいい感覚らしいです。

そういう体験から「死」を見つめたとき「仕事」を考えたときに
こんなことをしている場合ではない!
ということで仕事をやめられ、独立して整体の免許を頂いて
開業し、少林寺に没頭(現在7段です!!)。
少林寺を通じでいろんな人との出逢い、青少年の心の育成を
人生、生きる目的とされたとのことです。

私は仕事も家族も大事だと思って行動してますが、ふと
立ち止まる時があったほうがいいのかと最近感じており
ます。

がむしゃら頑張って体を壊して、話をすれば病気の話しか
出来ない人生って嫌だ。
そんな人生はいらん。
もっともっと大事なことを考えよう。
そういう次年度にするのだ。

私はね。